子どもたちの憧れの職業「パイロット」。

しかし、パイロットとしての仕事は決して甘くはありません。飛行機の操縦技術のみならず、現地の管制官とスムーズにやり取りを行う英語力、トラブルをいち早く解決するための判断力など、様々なスキルが必要なのです。

今回は、日本航空や海外の航空会社で数多くの機種・路線を操縦してきたT氏に、パイロットに求められることフライトや滞在先で経験した業界の裏話など、英語にまつわる話をメインに聞いていました。

前編では、パイロットとしての経験談を中心にお送りします。

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Tさん

航空大学校卒業後、日本航空に入社。10年間航空機関士として乗務後、パイロットに移行。約30年間、国際線をメインに乗務。日本航空退職後は中国の貨物航空会社と国内LCCを経て、2016年に引退。総飛行時間は約15,000時間(航空機関士としての飛行時間を含む)。【乗務機種:ダグラスDC-8、ボーイング737、ボーイング747在来型、ボーイング767、ボーイング777、エアバスA320】

航空大学校を卒業後、航空機関士を経て35歳でパイロットに

パイロットになるまでの道のりについて

もともとはパイロットになることは考えていなかったんです。高校1年のとき、飛行機好きの同級生に飛行機の写真撮影に連れていってもらったことがきっかけで、興味を持ち始めました。その後JALの整備場などにも足を運び、パイロットになりたいと思うようになりました。

高校3年の夏から半年間かけて、航空大学校の入学試験を受験しました。学科のほか、身体検査や、当時は実機をつかった試験もありましたね。試験では学力の優秀さよりも、常にしっかりと頭がはたらいているか、周りを見渡せているかといった「能力のバランス性」が重視されているように感じました。航空大学校では宮崎・帯広・仙台と移動をしながら、2年半の寮生活を経て、パイロットのライセンスを取得しました。

通常ならこのまま航空会社に採用されてパイロットとして乗務開始となるのですが、私が航空大学校を卒業した当時の日本は、オイルショックの最中にあり極度の就職難の時代でした。私はすぐに就職できず、航空会社への採用が決まったのは2年後。しかも、入社には条件があったのです。「航空機関士としての採用であり、パイロットにはなれない」と。

パイロットと同じくコクピットに乗務する航空機関士として、10年間飛びました。その後、偶然パイロットの人員枠に空きができ、副操縦士への移行が叶ったのです。航空大学校の卒業生なら最短で20代前半にはパイロットになれますが、私がはじめてパイロットになったのはそれよりずっと後。35歳のときでした。

パイロットは英語が話せて当たり前。英語が話せなければ飛ぶことができない

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パイロットは日常的に英語を使う仕事だと思いますが、具体的にはどの程度の英語力が必要とされるのでしょうか?

パイロットは国内・海外問わず飛び回るわけですから、もちろん英語は話せて当たり前の仕事です。しかし、ネイティブレベルに話せる必要はありません。基本的な英会話がスムーズにできて、パイロットや管制官が交信で使う「航空英語」をしっかりと使いこなせていれば、パイロットとして乗務できる英語力があるとみなされます。

航空英語能力試験

具体的には、3年または6年に一度更新する英語のライセンス「航空英語能力証明」において、レベル1~6のうちレベル4以上をとれば、国際線に乗務可能となります。仮にレベル4未満であっても国内線なら乗務できますが、どの路線を飛ぶかは会社都合で決まりますから、いずれにしてもレベル4以上の取得は必須です。「航空英語能力証明」以外には英語に関する評価基準はなく、英語力が社内での昇進などに影響することもありません。

パイロットが業務で使う航空英語には、決まった言い回しなどがあるのでしょうか?

パイロットや管制官が使う航空英語には型があります。必要最小限の単語で伝わるように型ができており、世界共通のものです。

たとえば、「離陸を許可します。」であれば、「Cleared for takeoff.」または「Runway is Clear.」で世界共通です。

どの空港においても、1語たりとも変わらず、このままの語呂で使われます。航空英語は、さまざまな型を覚える必要もある点が独特なポイントといえますね。“

航空機関士・パイロットとして乗務された約40年間、どのように英語力を維持されていましたか?

航空会社への入社後は、社内での公用語が英語のようなものだったので、特に勉強せずとも自然と英語には慣れました。当時の日本航空には外国人パイロットが多く、世界各国の出身のパイロットがいましたから、さまざまなネイティブ英語にふれることができましたよ。

社内での英語教育プログラムにも念のため参加しましたが、やはり乗務中での「実地経験」が英語力の向上に直結しましたね。

外国人パイロットや管制官との交信で、英語が聞き取れない・伝わらないなどトラブルになったことはありますか?

先ほどパイロットと管制官が使う航空英語には型があるといいましたが、英語圏の空域では、ネイティブスピーカー同士の交信になると、時にはハイスピードな日常英語が混ざってしまうこともありました。

特に印象に残っているのが、英語ネイティブのパイロットとの乗務中にトラブルが発生した時です。トラブル自体はごく小さなものでしたが、発生した瞬間にネイティブのパイロットと管制官との会話がナチュラルな英語になり、全く聞き取れなくなってしまったのです。

しかし、そんな環境下でも同じ飛行機に乗務しているわけですから、ナチュラル英語を懸命に理解しなくてはなりません。当時は断片的にしか交信内容を把握できませんでしたが、似たような経験を何十回、何百回と経験していくうちに、聞き取れるようになっていきました。これに関してはもう、乗務中に聞いて慣れる「実地経験」しか身に着ける方法がありません。

あとは、管制官に航空英語が通用せず困った経験もあります。航空英語では、聞き返すときにはSay again.」と尋ねるのが世界共通ルールなのですが、なんとこれを失礼な表現と捉えて認めない国があったのです。

何も知らない我々はいつも通り「Say again.」と言ったところ、相手の管制官が急に怒りだして返事をよこさなくなり、着陸を後回しにされてしまいました。今でこそ、ここまで極端な事例はほぼあり得ませんが、時々ローカルルールのようなものに悩まされることはありますね。

英語と同じく、操縦技術もまた「実地経験」で培われる部分が大きい

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パイロットは操縦技術も重要ですが、フライトにおいてはどの瞬間が技術的に最も難しいのでしょうか?

着陸が最も難しく、緊張する瞬間ですね。もちろんパイロットはみな訓練を積み重ね、あらゆる状況下においても安全に着陸できる操縦技術を習得したうえで乗務しています。しかし、衝撃の少ない理想的な着陸をする技術は、英語力と同じく、長年の経験によって身につくものです。

これはパイロットでなければわからないものなのですが、多くの着陸回数を積むと、着陸する寸前に滑走路からわずかにかかる空気圧のようなものを、操縦席の座面で感じられるようになるんです。本当に何百回、何千回とやらないとわからないものですが。

フワッと着陸できるかどうかは、パイロットの技術によるものなのでしょうか?

もちろん技術や経験によって多少左右されますが、基本的にはパイロットはみな熟練であり、スムーズに着陸させることができます。しかし、気象条件によってはわざと「ドン!」と着陸させる場合もあります。風が強かったり路面が濡れていたりするとスリップしやすく、車輪をしっかりと接地させないとブレーキが作動しないのです。着陸の衝撃が激しかったら下手なパイロット、というわけではありませんよ(笑)

テレビ番組などでも「着陸が難しい空港」などが紹介されることもありますが、実際にそのような空港に着陸したご経験はありますか?

今はもう新空港に移転してしまいましたが、香港の啓徳(カイタック)空港は着陸が難しい空港として世界的に有名で、私もジャンボ機で何度も着陸した経験があります。着陸の直前に右へ急旋回して着陸しなければならないうえ、空港近辺にはビルが林立しており、最後の右旋回をするまで空港が見えないんです。はじめは小高い山を目指して降下していき、急旋回後はビルの合間を通過して着陸。まさにパイロットの操縦技術が求められる空港で、毎度緊張しながらも、フライト後はこの上ない達成感を感じられる、印象深い空港でしたね。

他には、日本の松山空港、高知空港、韓国の釜山空港などにも、山側から急旋回して降りる着陸方式があり、香港と同じように緊張感のあるランディングでした。

アラスカを拠点に乗務した2年間は人生最高の思い出

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海外で生活をしながら乗務されたご経験はありますか?

30年ほど前までは、日本航空の機体がソ連上空を飛行できなかったため、ヨーロッパ線はほぼ全てアメリカのアラスカ州アンカレッジを経由していました。そのため、アンカレッジを拠点に乗務するパイロットが多く、私もそのうちの1人でした。アラスカで生活をしたのは2年間にすぎませんが、今でも忘れられない思い出の地です。

アラスカでの生活環境や休日の過ごし方は、どのようなものでしたか?

アラスカは、手つかずの自然が全土にわたって残っています。野生動物も身近な存在で、朝、玄関から外に出るとムース(巨大なヘラジカ)が横たわっていることも。海岸には、天然のラッコも目にすることができますよ。

休日はキャンピングカーや自家用プロペラ機でアラスカ全土を回っていましたね。飛行場にはレンタルプレーンがあり、自家用ライセンスさえあればいつでも予約して飛べるんです。当時は2人乗りの機体が1時間20~30ドル4時間借りると1日無料(笑)という料金設定でした。燃料は満タン返しでなくても大丈夫で、必要に応じて飛行場で給油するスタイルです。

「今日は天気が良いな」と思ったら電話して予約を入れ、氷河の上をフライト。レンタカーと同じ感覚です。午前中は、車だと丸一日かかる距離にある別の都市までレンタルプレーンで往復。アンカレッジに戻ったのち、午後は半日かけてまた別の都市までキャンピングカーを運転して行く、といったこともありました。本当に楽しい日々でしたね。

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